【Thappad】

監督:アヌバヴ・シンハー Anubhav Sinha

出演:タープスィー・パンヌー、パーヴェール・グラーティー、ラトナー・パータク、ディヤー・ミルザー

2020年2月28日公開

トレイラー

 

ストーリー
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アムリター(タープスィー・パンヌー)とヴィクラム(パーヴェール・グラーティー)は結婚して数年の若い夫婦。子供はいないが幸せな結婚生活を送っていた。あるときヴィクラムの昇進とロンドンへの赴任が決まり、アムリターとヴィクラムは会社の同僚や知り合いを呼んで自宅でパーティーを開く。パーティーの途中でかかってきた電話でヴィクラムはロンドン赴任の取りやめを告げられる。社内政治の犠牲になったのだった。腹の虫がおさまらないヴィクラムはその場にいた上司と口論を始める。夫の逆上ぶりをみかねたアムリターは止めに入る。だが、ヴィクラムからはパーティーの衆人環視の中、アムリターに一発の平手打ちが飛ぶ。

夫からの仕打ちにショックを受けたアムリター。翌朝、夫は何事もなかったかのように会社に出かけていったが、アムリターはどうしてもこれまでと同じ平穏な日常を続けることができない。彼女にとっては世界が変わってしまったかのようだった。アムリターはいったん実家に帰り、ヴィクラムとの離婚を決意する。
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夫から妻への一度の平手打ちが、それまで良好だった夫婦関係を壊していく様を描き、ドメスティック・バイオレンス(DV)の意味を問い直す社会派作品です。タイトルの意味は「平手打ち」、「ビンタ」、「ひっぱたくこと」。発音は「タッパル」が近いでしょうか。ヒンディー映画では頻出する単語であるため、聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。

アヌバヴ・シンハー監督とタープスィー・パンヌー主演という組み合わせ、ヒンドゥー至上主義の台頭で次第に疎外されていくインド・ムスリムを描いた裁判モノ【Mulk】(2018)と同じです。

インド映画やインドのニュースを見ていればインドにおけるDVが深刻な問題であることは想像に難くありませんが、さすがに被害者が医者にかからなければならないような暴力は悪いことであるという一般的な認識はあります。しかし「どこからがDVなのか」などと言い出す人が出てくると話がややこしくなります。具体的な数字は覚えていませんが、「妻には平手打ちならば許される」とか「必要」とか考える男性の割合が思っていたよりも大きくて驚いたことがあります。

【Thappad】はごく普通の夫婦の間の一回の平手打ちとその顛末を描くことを通じて、「そもそも『ささいなDV』なんてあるのか?」DVに線引きする必要はあるのかという問いを投げかけます。その問題意識の鋭さもさることながら、問題を映画として表現する監督の構成力と主演のタープスィー・パンヌーの演技が印象的です。

【Thappad】の構成の特徴は作品のクライマックスが映画の終盤ではなくて中間、しかも前寄りの中間にあることです。クライマックスとはもちろん夫から主人公への平手打ちです。そして作品はクライマックスの前と後とに二分されますが、監督はクライマックスの前と後で変わったものと変わらないものの両方を描くことでクライマックスを際立たせています。

「変わらないもの」は主人公や夫の日常生活。作品の序盤で、主人公が毎朝やっている、配達される新聞と牛乳を受け取り、チャイを淹れ、植木に水をやり、夫を起こし、朝食を食べさせ、弁当を持たせて仕事に送り出すといった朝の行動が執拗なまでに丁寧に描かれます。最初はばかに丁寧な描写だと思いましたが、平手打ちのあった翌朝にそれとまったく同じ情景が同じくらい丁寧に描かれるのを見て驚きました。主人公の朝のルーティーンの描写は主人公の周りの「(平手打ちによっても)変わらない生活」を描くための仕掛けだったのです。

一方で「変わってしまったもの」はひたすらタープスィーの演技だけで描かれます。彼女の中で何かが壊れてしまったのはわかるものの、タープスィーがそれをセリフで説明することはありません。おそらく自分でもうまく説明できないという設定なのでしょう。

【Thappad】は、問題の出来事の前と後、そして前と後で変わったものと変わらないものというという組み合わせを配置し、夫による妻への平手打ちという作品の中心テーマが見事に浮かび上がるような構成になっています。作品の社会的メッセージの重要性もさることながら、それをきっちりと観客に伝えることができるしっかりした作りの秀作です。

 

音楽
「Dancing In The Sun」

作品で重要な役割を果たす「朝のルーティーン」

 

「Hayo Rabba」

 

「Ek Tukda Dhoop」

タープスィー・パンヌー  アムリター役

性暴力がテーマの【Pink】(2016)、宗教問題の【Mulk】(2018)、そしてDVの本作【Thappad】。社会派作品といえばタープスィーというくらいにはなっています。そして本作は彼女の演技の重要度がとりわけ高かったことから、そのなかでもベストと言える作品です。

 

パーヴェール・グラーティー  ヴィクラム役

【Ittefaq】(2017)、【Kalank】(2019)(特別出演、ジャーナリスト役)などに出演がありますが、大きな役は本作が初めて。本当に自分の何が悪かったのかがわからない夫の役を堅実に演じていました。俳優としては地味な印象でした。

 

 

ディヤー・ミルザー  シヴァーニー役

主人公夫婦の隣家に住む女性。母子家庭で、作品でははっきりとは語られませんがおそらくDVの被害者という設定です。出来事の後まったく意見が一致しない夫婦の間で観客と同じく第三者の視点を与える役でした。

 

 

クムド・ミシュラー、ラトナー・パータク・シャー、タンヴィー・アーズミー、夫側の弁護士にラーム・カプール。

 

本作を観たあとに、本作の数カ月前に公開されながらも見逃していたある作品を観たのですが、そこでも本質的には善人な主人公が妻に平手打ちをしていて幻滅しました。話の流れからは必ずしも必要とは思えないし、それがもたらす影響も【Thappad】を観たあとでは平手打ちを軽々しく扱っているとしか思えませんでした。

【Thappad】
「ささいなDV」の問題を考えてみたい人、タープスィーの心情変化の演技を見たい人、Thappadの語でヒンディー語の発音練習をしたい人、おすすめです。

【Shubh Mangal Zyada Saavdhan】

監督:ヒテーシュ・ケーワーリヤ Hitesh Kewalia
出演:アーユシュマーン・クラーナー、ジテーンドラ・クマール、マヌ・リシ・チャッダー、ニーナー・グプター、ガジラージ・ラーオ

2020年2月21日公開

トレイラー

ストーリー
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インドの地方都市に住むアマン(ジテーンドラ・クマール)はゲイの青年。孤児でゲイのカールティク(アーユシュマーン・クラーナー)に「一目ぼれ」し、それ以来彼と付き合っている。だが、アマンの父で発明家のシャンカル(カジラージ・ラーオ)や母スナイナー(ニーナー・グプター)ら、保守的で「ホモ嫌い」でもある家族にはとても言い出せない。だが、アマンのいとこの結婚式で二人の関係が家族みんなにバレてしまう。シャンカルは息子を「浄化」しようとし、知人の娘クスム(パンクリー・アヴァスティー)との縁談をむりやりに進めてまでカールティクとの仲を裂こうとする。二人はある計略でシャンカルに対抗しようとするが・・・
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男性インポテンツがテーマのコメディ【Shubh Mangal Saavdhan】(2017)の続編。続編とはいっても前作との共通点は結婚があるだけで、本作【Shubh Mangal Zyada Saavdhan】のはゲイがテーマ。ボリウッドのメインストリーム(名のある俳優を配した娯楽性の高いストーリーである程度の興行収入を見込む作品、といったらいいでしょうか)においてこれまでで一番メインの位置にあるゲイ・ムービーではないかと思います。「インド初のゲイ・コメディ」の看板に偽りなしです。

インド映画のラブストーリーには、【Dilwale Dulhania Le Jayenge】(1995)に代表される「嫁獲りモノ」というジャンルがあります。主人公が愛するヒロインと結婚しようとして、最初は特にヒロインの父親に反対されるが、最後には説き伏せてヒロインと一緒になる。その中ではヒロインの父親は主人公と結婚をさせないためだけに適当な縁談を大急ぎで進めるというパターンもあります。

【Shubh Mangal Zyada Saavdhan】では、その「ヒロイン」の部分がすべて男性に変わっただけです。ヒロインの父親が娘の結婚に反対する理由は主人公が貧しいとか身分が低いというものですが、これが本作では主人公がゲイだからという理由に置き換わっただけです。ゲイを社会全体から差別される存在として描いて社会問題としてのゲイ・カップルを描くのではなく、執拗にゲイに反対する父親を意固地で頭が固い人物として描くことでゲイ・カップルを当たり前の存在として描きだしています。

インド映画もここまで来たかという感じですが、ここまで来たが故に見えてしまう欠点もあります。以下は【Shubh Mangal Zyada Saavdhan】が画期的な作品であることを認めたうえでの指摘です。

それは何かというと、「2人の間に『愛(ピャール)』が見えない」ということです。たしかにこうした映画を観慣れていないために鑑賞者側(つまり私)の見る力がないせいもあるかもしれません。しかし、作品で2人が語らう時間が少ないのは明らか。もちろん、いろいろな事情からカップルが遭えない作品はたくさんありますが、その場合でもわずかに遭える時間を用意し、その場面に俳優も監督も全力尽くして作品中最良の瞬間にしようとする意気込みが伝わってくるものが多いですが、本作ではそうでもありません。

上と同じ理由で「ゲイの主人公の相手役」の評価はしたことがないので難しいのですが、やはりアーユシュマーンの芸達者ぶりに比べるとやはり弱いでしょうか。また、【Badhai Ho】(2010)で素晴らしかったカップルのうち、カジラージ・ラーオは「敵役父親」をコミカルに演じて良かったのですが、ニーナー・グプターのほうは大人しい役で目立たず、ややもったいない使い方になってしまいました。

とはいえ、ヒンディー映画の歴史における記念碑的な作品であることは間違いないですし、ピャールは見えなくとも個性ある出演者が織りなすストーリーはみどころがあります。観ておいて損はない一作です。

 

音楽

「Mere Liye Tum Kaafi Ho」

 

「Aisi Taisi」

「Arey Pyaar Kar Le」

アーユシュマーン・クラーナー  カールティク・シン役

さすがのアーユシュマーンでした。通常のヒーロー役をゲイの役に当てはめるのではなく、「いくらか屈折したところのある一般男性」という自らの得意な役柄に引っ張ってきました。これまでアーユシュマーンの目立った役を合成すると、「ゲイでインポでハゲで女性の声が出せる」というすごいものになります。

ジテーンドラ・クマール  アマン・トリパーティ役

最近はテレビから映画に進出する俳優が多いですが、ジテーンドラの場合はテレビではなくウェブ・シリーズ出身という変わり種(今後はもっと出てくるかもしれません)。器用そうではあるものの、これからすぐに売れ出すという感じはしませんでした。今後の出演作待ち。

ガジラージ・ラーオ  シャンカル・トリパーティ役

息子がゲイと知って逆上し、頑なにカールティクとの関係を妨害しようとする俗物の父親役。現実だったほぼ同じような人物とみらである【Badhaai Ho】(2018)の役(アーユシュマーンの父役)はどうみても善人なのに、本作では悪人とまでは行かずともひどい人物。こうした微妙な演じ分けが見事は優れた俳優です。

ニーナー・グプター  スナイナー・トリパーティ役

ガジラージ・ラーオの妻役は【Badhaai Ho】と同じ。ところが本作はあまり特徴がありませんでした。まあ、伝統的なボリウッドのラブコメでヒロインの母親役といえばかなり決まった型があり、本作でもそうだっただけなのかもしれません。ただし、本作では男性の母役ですが。

2人の脇役女優が良かったので特記。

アマンとの急な縁談に割と乗り気の女性クスム役は映画デビューのパンクリー・アワスティー(左)。テレビでは有名な人のようです。映画でも結構目立っていました。

いつもサングラスをかけているアマンのいとこの「ゴーグル」ラージニー役はマーンヴィー・ガグルー(右)。名前を聞いてもピンと来ないかもしれませんが、【PK】(2014)でアヌシュカー・シャルマーのテレビ局の同僚役。

そして、ストーリーの都合上、女性のヒロインはいない本作ですが、シリーズ前作【Shubh Mangal Saavdhan】のヒロインだったブーミ・ペードネーカルが特別出演しています。

 

これまでもヒンディー映画ではゲイが主人公、あるいはゲイをテーマにした作品は作られてきました。しかし、ゲイ差別を社会問題と見る社会派作品か、メインストリームから外れたアングラ、アウトサイダーの作品でした。日本でも映画祭上映された【Aligarh】(2015)は社会派作品ですし、初の本格ゲイ作品と呼ばれた【Dunno Y… Na Jaane Kyon】(2010)はまだアウトサイダー的な位置付け。自らゲイであることを公にしているオニル監督【My Brother … Nikhil】(2005)、【I Am】(2011)などはその両方の性格を持っています。

 

【Shubh Mangal Zyada Saavdhan】
「初の~作品」は観ておきたいという人、自分には2人の間にきっとピャール(愛)が見えるはずという人、DDLJネタは見逃さないという人、おすすめです。

【Love Aaj Kal】

監督:イムティヤーズ・アリー  Imtiaz Ali
出演:カールティク・アールヤン、サーラー・アリー・カーン、アールシー・シャルマー

2020年2月14日公開

トレイラー

 

ストーリー
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バーで出会ったゾーエー(サーラー・アリー・カーン)とヴィール(カールティク・アールヤン)はいい雰囲気になり、一夜を共にするためヴィールの家に行くが、ヴィールが「ここまで来て寝ようとしない」とゾーエーを怒らせてしまう。あとでコワーキングスペースで出会ったときも大げんか。しかし、それでもヴィールは就職の面接に行くゾーエーを送っていく。そんなこんなで続いていく「今の恋」。

1990年のウダイプル。ラグー(カールティク・アールヤン)はリーナー(アールシー・シャルマー)を口説き落とし、秘かにデートをするようになる。しかし、やがてリーナーはデリーに移ることに。ラグーはすべてを捨ててリーナーを追いかけデリーに向かう。デリーでラグーはリーナーと一緒に暮らし始めるが。都会の誘惑に翻弄される「昔の恋」。
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イムティヤーズ・アリー監督は10年ほど前にサイフ・アリー・カーン、ディーピカー・パードゥコーン主演で【Love Aaj Kal】(2009)(恋愛今昔)をヒットさせましたが、今回それと全く同じタイトル(「2」「Again」「Returns」などが付かない)の作品を作りました。続編でもリメイクでもなく、「リブート」といった感じでしょうか。

出演者は前作から全交代。主演はいま好調のカールティク・アールヤン、ヒロインはサーラー・アリー・カーン。キャリア3作目にして大役です。ランディープ・フーダーはイムティヤーズ・アリー監督作品では【Highway】(2014)に出演しています。

旧【Love Aaj Kal】は現在と過去の平行する2つのラブストーリーを同じ俳優(サイフ・アリー・カーン)にやらせるという斬新なフォーマットでした。新【Love Aaj Kal】もまったく同じフォーマットを採用しています。新【Love Aaj Kal】では現在のストーリーは現代(2020年?)、過去のストーリーは1990年(30年前)に設定されています。このフォーマットによりカールティクの2役が見られるし、過去の主人公が実は現在のランディープ・フーダーであることが明かされるため結末が知りたくなります。このようにこのフォーマットの効果は新作でも十分に発揮されていたと思います。

現在編はキャリアの野心満々の肉食女子と不思議系男子のあいまいラブストーリー。過去編は田舎の純朴な恋愛から始まり、それが都会に出て・・・。こちらは結末は伏せておきます。

旧【Love Aaj Kal】で現在と過去のストーリーを平行させたのは、まったくスタイルの違う恋愛を示しておきながら、最後には「時代は移っても恋愛の本質は同じ」ということが伝わりました。いっぽう、新【Love Aaj Kal】ではそこまでのストーリーの一致はありませんでした。確かに現在編は今風、過去編は昔風ラブストーリーですが、それを平行させる意味は見えませんでした。それとも見える人には見えるのでしょうか。

出演者はまずまず良かったと思います。ただ、カールティクの現在編の役は難解なので、演じるのはさすがに難しかったように思います。サーラーは向いている役だったので、大役をこなせました。一番良かったのはランディープ・フーダー。過去のランディープをカールティクが演じるため登場時間はそれほど多くありませんが、現在と過去をつなぐ役割を存在感抜群で演じていました。

旧【Love Aaj Kal】から10年以上が過ぎ、その間にはイムティヤーズ・アリー監督自身の作品も含め、同作の影響を受けた多くのラブストーリーが出てきました。そうした中でさすがに昔のフォーマットの良さだけでは十分ではないのでしょう。

しかし、それでもアリー監督作品ならではの映像の美しさや出演者のフレッシュな演技など見どころはあると思います。また、旧【Love Aaj Kal】を観ている人は、ボリウッド恋愛映画のいま昔を考察してみてもいいかもしれません。

 

音楽
音楽は旧作と同じプリータム。旧作をまるごとカバーした「Yeh Dooriyan」、いくつかのフレーズを取り入れた「Haan Main Galat」など、旧作の音楽を聴いていた人向けのサービスもあります。

「Haan Main Galat」

旧作から「Twist」のフレーズ(といってもさらなる元は有名なコブラ・ソング「Man Dole Mera」ですが)を取り入れています。

 

「Shayad」

新旧作の間の時間の移り変わりを象徴する存在が今やボリウッドのエース・シンガーのアリジート・シン。旧作のときにはアリジートはまだ歌手デビュー前でした。

 

「Yeh Dooriyan」

少し調子を変えていますが旧作の「Dooriyan」の完全なカバー。歌も同じモーヒト・チャウハーン。

 

カールティク・アールヤン  ヴィール / ラグー役

確実に人気が上がってきた最近の作品を含め、これまではラブコメ一辺倒だったカールティクが初のシリアスに主演です。ただ、アリー監督も180度の転換は求めなかったのか、旧作のサイフとは違った意味でつかみどころのない男の役になりました。かなり難しい役だったのではないかと思います。

 

サーラー・アリー・カーン  ゾーエー役

父の出演作のリメイクに娘が出演という珍しい形になりました。サーラーにとって本作はこれまでの出演2作に比べてはるかに大役でした。途中、ぎこちないところはありましたが、なんとか大役を演じとおしたことは評価できます。旧【Love Aaj Kal】でもディーピカーはなんとか演じ通し、俳優開眼のきっかけになったことを考えると、サーラーにとっても本作がそうなるかもしれません。

 

アールシー・シャルマー  リーナー役

旧【Love Aaj Kal】と同じく(後述)アリー監督の「隠し玉」で、本作までまったく知られていませんでした。しかし、作中ではサーラーに負けない印象を残しました。作中では暗めの役でしたが、本人はインタビューなどで見ると上品でかわいらしい感じ。本作だけではなんとも言えませんが、今後も脇役で出てくるかもしれません。

 

ランディープ・フーダー  ラージ役

イムティヤーズ・アリー監督作品では【Highway】(2014)に出演し、素晴らしい演技を見せました。それ以来久々の出演となりますが、アリー監督が信頼しているのがわかるような役どころで、またそれに応える名演技。全体に軽めな作品にしっかりとした起点を作るような役でした。

 

新【Love Aaj Kal】では過去編のヒロイン役アールシー・シャルマーはこれまでほとんど無名ながら印象的な役になりました。実は旧【Love Aaj Kal】でもセカンド・ヒロイン(過去編のヒロイン)には逸話があります。旧【Love Aaj Kal】でもとても可愛いと話題になりましたが、その時には女優の名前すらわかりませんでした。こちらもアリー監督の隠し玉でブラジル人モデルのジゼル・モンテイロであるとわかったのは公開後しばらくたってからのこと。ジゼル・モンテイロはその後【Always Kabhi Kabhi】(2011)に出演しましたが、現在では帰国しているそうです。

本作主演のサーラー・アリー・カーンは旧【Love Aaj Kal】主演のサイフ・アリー・カーンの娘。同一監督の同名作品に父娘がそれぞれ主演というのはまずないのではないでしょうか。ところで、娘が主演した新【Love Aaj Kal】を公開前の試写で観たサイフは感想を聞かれ、「俺のやつ(旧作)のほうがいいな」と答えたそうです。大人げないというかサイフらしいというか、笑ってしまうエピソードが残っています。

【Love Aaj Kal】
旧【Love Aaj Kal】を観た人、カールティクの実力はいかにと思っている人、今回は過去編のヒロインも見逃さないという人、1990年が「過去」という設定に焦っている人、おすすめです。