【Dabangg 3】

監督:プラブデーヴァー Prabhu Deva
出演:サルマーン・カーン、ソーナークシー・シンハー、サーイー・マーンジュレーカル、スディープ、アルバーズ・カーン、ワリーナー・フサイン(ソング出演)

2019年12月20日公開

トレイラー

ストーリー
**************************************
型破りの警察官チュルブル・バーンデー(サルマーン・カーン)は今日も悪人退治で活躍する一方、妻ラッジョー(ソーナークシー・シンハー)や弟のマッキー(アルバーズ・カーン)らと仲良く暮らしていた。
ある日、人身売買組織を摘発したチュルブルはその背後に悪徳実業家バッリー・シン(スディープ)がいることを知る。チュルブルとバッリーは古くからの因縁があった。チュルブルはラッジョーに若き日の自分とバッリー、そしてかつての想い人クシー(サーイー・マーンジュレーカル)とのエピソードを語り始める。
**************************************

サルマーン・カーンが腐敗しているが正義の警察官という型破りの役を演じて大ヒットし、サルマーンに一種の転機をもたらした【Dabangg】シリーズの3作目です。本シリーズは1作目【Dabangg】(2010)から【Dabangg 2】(2012)までが2年と間が短かったのに対し、その後しばらく3作目は作られなかったためもう続編はないのかと思い初めていました。それが前作から7年を置いての第3作目です。

1作ごとに監督が異なる本シリーズ。本作では娯楽映画の作り手として定評のあるプラブデーヴァーがシリーズ初監督。

主演のサルマーン・カーンをはじめ、ソーナークシー・シンハー、アルバーズ・カーン、ディンプル・カーパーディヤー、そして前作から本作までの間に故人となり本作ではわずかに登場のヴィノード・カンナーなどシリーズ1作目からの連続出演が多くいます。一方で回想シーンで登場する昔の恋人役に本作がデビューのサーイー・マーンジュレーカル、敵役にはカンナダ映画俳優でテルグ映画『マッキー』での悪役が印象的なスディープ。

本作ではトレイラーにあるように「どうしてダバングがダバングになったのか」というダバング誕生秘話ともいうべきエピソードが重要な位置を占めています。チュルブルがある事件をきっかけに因縁のあるバッリー(スディープ)と再会し、かつての恋人クシー(サーイー・マーンジュレーカル)をめぐるエピソードを回想するというもので、中盤に程々の長さの回想シーンが挟まれます。そして、現代に戻ってその時の因縁にカタを付けるというながれになっています。こうした構成のため【Dabangg 3】はストーリーにメリハリがあり、なんとなく話がだらだらと続く感じのあった【Dabangg 2】よりも良くなっています。

【Dabangg 3】のみどころの一つはスディープ演じるバッリー。シリーズでは1作目の悪役がソーヌー・スード、2作目がプラカーシュ・ラージですが、3作目のスディープはソーヌーの肉体とプラカーシュ・ラージの狡猾さを兼ね備えたシリーズ最凶の悪役になっています。

主役の3人は時の流れを感じさせません。サルマーン演じるチュルブルは「警部(Inspector)」から「警視補(Assistant Superintendent of Police)」に昇級していますが、キャラクターはまったく変わっていません。そのブレなさぶりは驚くばかり。ソーナークシー演じるラッジョーは今では子供がいるお母さんですが、こちらも可愛くもあり貫禄も(昔から)ありで変わらず。アルバーズ・カーン演じるマッキーは相も変らぬ徹底したダメ人間ぶり。

【Dabangg 3】は前作から時が経ち、監督も変わったにも関わらず、作風やキャラクターにおけるシリーズの一貫性を保っています。そのためシリーズの熱心なファンにはすんなりと受け入れられて楽しめる作品でしょう。一方で普通の観客にはやや飽きられる部分はあるのかもしれません。

音楽
前作【Dabangg 2】の音楽はすべての曲が【Dabangg】の曲に対応して作られており、別の言い方をすると両作は音楽上の構成がほとんど同じという異例のものでした。本作はさすがにすべてが同じではありませんが、やはり「Munni Bandnaam Hui」、「Hud Hud」がアレンジされて使われています。【Race】シリーズの「Allah Duhai Hai」と同じようにシリーズで繰り返し使って雰囲気を保つほうがいいのか、新たな曲に組み替えていくほうがいいのか難しいところです。

「Hud Hud」

シリーズのテーマ曲ですが、このビデオにあるサードゥー(行者)がエレキギターを弾きながら踊っているシーンはさすがにクレームが来て、本編ではカットされました。

「Munna Badnaam Hua」

1作目でマライカー・アローラー・カーンが出演して大ヒットした曲のカバーですが、タイトルの「Munni」が「Munna」に、「Hui」が「Hua」へとそれぞれ男性形に変化しています。すなわちサルマーンが主役をやるという意思表示。しかし、脇役には回りましたがデビュー【Loveyatri】(2018)から抜擢されたワリーナー・フサインは大健闘。

「Naina Lade」

1作目の「Tere Mast Do Nain」を彷彿とさせる曲ですが、サーイー・マーンジュレーカル、さすがにあの時のソーナークシーには敵いません。

「Yu Karke」

これぞソーナークシーという曲。

 

サルマーン・カーン  チュルブル・パーンデー役

シリーズ前作【Dabangg 2】(2012)から【Dabangg 3】までの間にサルマーンが主演した作品には【Bajrangi Bhaijaan】(2016)(『バジュランギおじさんと小さな迷子』)、【Prem Ratan Dhan Payo】(2016)(『プレーム兄貴、王になる』)、【Tiger Zinda Hai】(2017)など、【Dabangg】とはまったく異なるキャラを演じた作品が並びます。しかし、それでも前作とまったく同じ姿で戻ってくるのはさすがサルマーンであり、チュルブルがサルマーンの適役だからでしょう。


スディープ
  バッリー・シン役
同じ悪役ながら『マッキー』のほうがゲスな感じは上で、【Dabangg 3】ではもう少し大物の悪役です。いろいろな意味で強力な悪役なため、チュルブルが前作、前々作に比べて本気度を一段階上げざるを得なくさせた感じでした。

 

 

 

ソーナークシー・シンハー  ラッジョー役
【Dabangg】(2010)がデビューのソーナークシー。本作ではさすがの貫禄ミセス・パーンデー。もっとも、以前から貫禄ありましたが。ただ、出番自体はさほど多くありませんでした。

 

 


サーイー・マーンジュレーカル
  クシー役
監督・俳優として知られるマヘーシュ・マーンジュレーカルの娘。本作ではソーナークシー以上にメインのヒロインになるはずなのですが、それにしては存在感が薄かったです。ソーナークシーのデビューと比べるのは酷ですが、次があるのか心配です。

 

 

ボリウッドには人気のシリーズがいくつかありますが、その中でも実は【Dabangg】シリーズは異色の作りです。というのは作品が時間的に順番に並ぶ文字通りの続編でのシリーズであり、主要キャストは変わらずに続けて出演しています。普通のシリーズではないかと思われるかもしれませんが、実はこの普通が珍しい。たとえば【Dhoom】シリーズはアビシェーク・バッチャンとウダイ・チョープラーが連続出演ですが、作品ごとの真の主役である悪役は毎回異なっています。【Golmaal】シリーズはキャストが同じながら設定が毎回異なります。【Housefull】シリーズは一部キャストが共通ながら、特に女性陣は総入れ替えに近いぐらいに変わり、話も毎回違っています。

本作の特徴は中盤の回想シーン。大筋とは関係ありませんが面白いことに回想シーンの中にラッジョー(ソーナークシー)が登場します。チュルブルとラッジョーは【Dabangg】の中ですでにチュルブルが警官になったあとで出会っているわけですが、実はその出会い以前から以外なつながりがあったことがわかります。

【Dabangg】
帰ってきたチュルブル大歓迎という人、マッキーは今回はどんなダメぶりか見たい人、ヴィノード・カンナーの見納めをしたい人、スディープのファンの人、おすすめです。

【Mardaani 2】

監督:ゴーピー・プトラン Gopi Puthran
出演:ラーニー・ムカルジー、ヴィシャール・ジェートワー、ジーシュー・セーングプタ、ラジェーシュ・シャルマー

トレイラー

ストーリー
**************************************

シワーニー・シヴァージー・ローイ(ラーニー・ムカルジー)は警視に昇進し、とあるインドの地方都市の警察署に署長として赴任する。その後まもなくしてその町で若い女性を狙ったレイプ殺人事件が発生する。被害者を拷問した挙句に強姦し、さらには遺体にまで加虐する異常な犯罪だった。シワーニーはテレビでの会見で犯人を非難し、絶対に逮捕すると宣言する。

シワーニーの発言を挑発と受け取った犯人は彼女を敵視し、やがて彼女の周りで奇怪な事件が起こり始める。そして、さらには第2、第3の事件が発生する。
**************************************

ラーニー・ムカルジーがタフな女性警官を演じた【Mardaani】(2014)の続編。インド映画ではむしろ珍しく、時間的に前作の後に続く本当の意味での「続編」です。前作では警部だった主人公が警視に昇進して地方都市の警察署長になっています。そこで発生した猟奇殺人の犯人と主人公との熾烈な戦いが本作のテーマです。

前作がヒットしたのは犯人との素手での殴り合いのようなこれまでのインド映画では男性のヒーロー役がやってきたことをやり遂げてしまう女性キャラクターにインパクトがあったこと、さらにその役をこれまで格闘はおろかアクションすらほとんどやったことがないラーニー・ムカルジーがやったということもあります(キャラの性格だけであれば【No One Killed Jessica】(2011)のジャーナリスト役にその先駆けがあるでしょうか)。また、ただ単に「強い女性」の作品というだけでなく、女性が「ヒーロー」であるときに家族との関わりはどうなるのかといった細かいところにも目を配った良い作りだったこともあります。

続編の本作はアクション・スリラーとしては前作からパワーアップし、よりスリリングな作品になっています。その原因の1つは強烈な悪役の存在です。前作の悪役ターヒル・ラージ・バシーン演じる人身売買組織の長は冷徹な計算のもとに行動するタイプだったのに対し、今回の敵は悪魔的な猟奇殺人鬼で、ときには主人公たちの思いもよらない大胆な行動に出て翻弄します。いろいろな意味で本当に「ヤバイ奴」でした。

強力な敵との戦いスリラーとしては面白くなった一方で、あまりにも犯人が強力かつ異常なため、あまりに現実離れしていました。警察署長で女性である主人公に挑戦するため変装して警察署の奥の奥にまで入り込んだり、主人公の自宅に忍び込んだりします。こうした犯人の異常性は恐ろしさを醸しだしていたのは確かですが、さすがに出来すぎだろうという気もしました。

主人公が署長として赴任したせいで、部下となったベテラン男性警部との関係が面倒なことになったりというエピソードはありますが、メインとなる事件以外の部分は前作に比べて扱いが小さくなっていました。たとえば主人公は単身赴任であるため家族のことは気にせず(犯人などから守る必要なく)に犯人との戦いに専念できるのはいいですが、作品としては深みがなくなってしまいました。唯一、女性上司が赴任してきたことに反発する男性警官の話は現実味があって面白かったのですが、もう少し掘り下げてほしい気がしました。

シリーズのタイトルである「mardaani」は「男性的」、「男らしい」という意味ですが、ある詩人がジャーンシーのラクシュミー・バーイーに使ったように「男まさり」の意味があり、前作【Mardaani】ではタイトルどおり、「女性が強くあること」の意味が問われていました。ところが【Mardaani 2】は前作よりもアクション、サスペンスとしての質は上がりましたが、肝心の「女性が強くあること」の意味を問うというメッセージ性は後退してしまったようでした。

それでもラーニー・ムカルジーは前作に劣らずかっこいいし、敵役のヴィシャール・ジェートワーはこれ以上ないほどに邪悪です。この2人のガチ対決はやはり見応えがありました。キャラクターのパワーに圧倒されながら観る作品です。

音楽
【Mardaani 2】はプロモ・ソングを含めて曲がまったくないという珍しい作品です。

ラーニー・ムカルジー  シワーニー・シヴァージー・ローイ役

前作では自宅でのトレーニング・シーンがあったりと、従来の女性主人公とはまったく異なる「家庭的な」一面があったりして面白かったのですが、本作ではそうした面はなくなっています。しかし、アクションを含めた警察官の「本業」は前作よりもパワーアップ。やはりラーニー・ファンには見逃せません。


ヴィシャール・ジェートワー
  サニーことシヴ役

テレビ俳優で映画への出演は本作が初めて。テレビでは歴史物への出演が多かったようです。本作での残虐、狡猾な悪役は強烈な印象を残しました。あまりに強烈なのでこれから別の役が付くのか心配になるくらいです。

 

 

本作公開の少し前、ハイデラバードで女性が拉致され、強姦のあと遺体を焼かれて遺棄されるという事件が起きました。【Mardaani 2】の内容と酷似した事件なだけに、本作への影響が心配されました。しかし、ハイデラバードの事件は警察が逮捕した容疑者4人を現場検証に連れ出し、拳銃を奪って逃走を図ったとして全員を射殺するという映画も顔負けの結末を迎えています。

本作はトレイラーの段階では舞台がラージャスターン州コーターと実名で設定されていましたが、レイプ殺人がテーマの本作の舞台とされるのは町のイメージを損なうとしてコーターの住人による抗議運動が起きました。それを受けて制作者サイドは舞台を架空の都市に変更されています。

【Mardaani 2】
パワーアップしてやはりかっこいい「ラーニー=シワーニー」を見たい人、悪役の邪悪ぶりを確かめてみたい人、おすすめです。

【Panipat】


監督:アーシュトーシュ・ゴーワリカル Ashtosh Gowarikar
出演:アルジュン・カプール、サンジャイ・ダット、クリティ・サノーン、パドミニー・コールハープレー、クナール・シャシ・カプール、ズィーナト・アマーン

2019年12月6日公開

トレイラー
https://www.youtube.com/watch?v=zpXnmy-6w1g

ストーリー
***********************************
18世紀なかばのインド。ムガル帝国は最盛期を過ぎ、インド中西部のマラーターをはじめ、各地の群雄が地方を実質的に支配するようになっていた。そのようななか、アフガニスタン王アフマド・シャー・アブダーリー(サンジャイ・ダット)がインド侵攻を計画していた。

その報を知ったマラーター王国のペーシュワー(宰相)ナーナーサーヘブ(モニーシュ・バーハル)は信頼する配下の武将サーダーシヴ・ラーオ・バウ(アルジュン・カプール)にアフマド・シャーの撃退を命じる。サーダーシヴは途中で同じマラーター同盟の他家や各地の諸侯を説得して増援を得ながら北インドに進軍する。

マラーター軍はかつて2度戦場になったパーニーパットでアフガン軍と激突するが、その直前、マラーター軍は予期しなかった逆境に直面する。
**********************************

マラータ王国軍が侵攻してくるアフガン軍を迎え撃ったものの敗れた1761年の第三次パーニーパットの戦いをマラータ王国軍の指揮官をサーダーシヴ・ラーオ・バウを主人公にして描く歴史物。

【Lagaan】(2001)、【Swades】(2004)などスケールの大きな作品で知られ、【Jodhaa Akbar】(2008)、【Mohenjo Daro】(2016)などの歴史物も多いアーシュトーシュ・ゴーワリカル監督の作品。もっとも【Mohenjo Daro】はリティク・ローシャン主演で期待されたもののフロップに終わっています。

作品のテーマである「第三次パーニーパットの戦い」、名前は聞いたことはあってもよほどの歴史好きでないと第何次がいつどこの戦いだったかがわかる人は少ないでしょう。時は1761年1月14日、当時衰退期にあったムガル帝国の首都デリーから北に100キロほどの地で、インドに侵攻してきたアフガン王アフマド・シャー・アブダーリーのアフガン軍とマラーターの武将サーダーシヴ・ラーオ・バウ率いるマラーター連合軍の戦いです。そして第三次がマラーターとアフガンの戦いであることを思い出した人も、それが映画のテーマだと聞くと「なぜ?」と思うかもしれません。なぜならインドにとっては負け戦、それも惨敗レベルの敗北だったからです。

ゴーワリカル監督の前作【Mohenjo Daro】がインダス文明を扱った自由度の高い(フィクション性が高い)ストーリーで、それで評価も興行的にも失敗した反動なのか、【Panipat】は出来事の経過を克明に追う歴史ドキュメンタリーのような作りでした。ですがそのため最後の戦闘シーンまでのほとんど、特に前半は盛り上がりが少なくやや退屈です。

本作のサブタイトルは「大いなる裏切り」。負け戦を題材としているので敗因としての裏切りをテーマにするのは理にかなっていますが、作品では「裏切り」はほとんど中心テーマになっていません。このへんも何が描きたいのかがはっきりしない原因になっています。

そして合戦シーン。大規模な戦いを再現しており一昔前であれば優れたシーンとされたかもしれませんが、最近の時代劇の合戦シーンに比べると、迫力にも個性にも欠けるように思えてしまいます。【Baahubali】のような奇抜な戦術が登場するわけでもなく、戦い自体が劇的に展開するわけでもありません。

アルジュン・カプールは予想よりも好演。サンジャイ・ダットはキャラクターの設定に問題があるものの(後述)さすがの演技。クリティ・サノーンは時代劇にいま一つフィットできなかった印象です。

歴史好き以外にはやや退屈なストーリー展開。しかし、歴史好きには納得行かない歴史考証も多く、位置付けが中途半場な作品に終わってしまいました。

音楽
音楽は作曲家デュオのアジャイ=アトゥル。勇壮な曲が多いですが、やはりゴーワリカル監督作品常連のA.R.ラフマーン作曲に比べるとやや物足りない気がします。

「Mard Maratha」

「Mann Mein Shiva」

「Sapna Hai Sach Hai」

アルジュン・カプール  サーダーシヴ・ラーオ・バウ役

大作時代劇の主役なんて大丈夫かと思ってましたが、意外によく似合っていました。君主役ではなく武将役だったのが良かったこともありますが、マラーターの衣装や髪形がなんとなくそれらしいのが原因でしょうか。【Bajirao Mastani】(2015)のランヴィール・シンより似合っているかも。

 

サンジャイ・ダット  アフマド・シャー・アブダーリー役

史実としてアフマド・シャー・アブダーリーの描き方に問題があるという問題は別にして(後述)、【Agneepath】(2012)のカーンチャー役を思わせる危険な狂気を秘めた役で、本作では一番面白い役でした。

 

 

クリティ・サノーン  パールヴァティー・バーイー役

現代風美人のクリティ、いまひとつ時代劇にフィットしていませんでした。実際にそうだったのかもしれませんが、作中での役割が小さかったのも目立てなかった原因です。もっと出番が多く、【Bajirao Mastani】のマスターニー役のように作り込んだ役であればよかったのかもしれません。

 

パドミニー・コールハープレー、ズィーナト・アマーンら、かつて活躍したものの最近はあまり見かけない女優が出演しているのも本作の特徴です。そしてもっと驚いたのは「裏切り役」アワド太守のシュジャー・ウッダウラー役にクナール・カプール。シャシ・カプールの息子ですが、演劇での活動が主でほとんど映画には出ていませんでした。

 

【Panipat】は時代的には【Bajirao Mastani】(2015)に続く時代の話です。アルジュン・カプール演じる主人公のサーダーシヴ・ラーオは【Bajirao Mastani】でランヴィール・シン演じたバージーラーオ1世の弟チマージー・アッパーの息子。覚えていますか?

【Bajirao Mastani】のチマージー・アッパー

最近のインド映画の歴史物には必ずと言ってもいいほど起きる歴史問題。今回も2つ。1つはラージャスターンのマハーラージャー・スーラジ・マルの描き方が誤っているとして抗議運動が起きました。作中でスーラジ・マルがサーダーシヴ・ラーオ率いるマラーター連合軍に加わらなかったのは史実ですが、その理由が「見返りにアーグラー城を求めたが断られた」となっているのが誤りで、スーラジ・マル、ひいてはジャート・カーストに対する侮辱だとして主張しています。ラージャスターン州の映画館では【Panipat】の上映が中止されるところも出ました。

もう1つはアフガン王アフマド・シャー・アブダーリーの描かれ方。同王は後にアフマド・シャー・ドゥッラーニーとしてドゥッラーニー朝の創始者となる人物。それが【Panipat】でサンジャイ・ダット演じるキャラクターは蛮族の王そのものでした。これでは当然アフガニスタンから抗議が来ます。実は【Panipat】の制作が発表された直後からアフガニスタン政府は外交ルートを通じてその内容(というか同王の描かれ方)の照会を依頼していたそうです。【Padmaavat】(2018)のアラーウッディーン・ハルジーもそうですが、最近のインド映画の歴史物では、インドにやってきたイスラーム王は野蛮で残虐に描かなければならないといった風潮があるようです。ちなみにゴーワリカル監督は【Johdhaa Akbar】(2008)ではムガル帝国のアクバルを英明な君主として描いています。

【Panipat】
歴史物またはインド史好きな人、アルジュン・カプールの熱演を見たい人、サンジャイ・ダットの「ヤバイ人」は好きという人、おすすめです。