観たい!2020年7月編

新型コロナウイルス感染流行によってインドの映画館が閉鎖されてからもう3カ月以上が経ちました。その間、新作を紹介するこのコーナーもお休みしていたわけですが、映画館再開の見通しが立たないままいつまでも休んでいても仕方ありませんので、その間インド映画界(世界の映画界とも言えます)に起きた大きな変化に合わせ再開することにしました。

その大きな変化というのは新作公開の場が映画館からアマゾン・プライムやネットフリックなどのビデオ・ストリーミング(インドではOTT [Over The Top])に移ったことです。元々劇場公開される予定だった作品も、劇場再開の見通しが立たない中で次々とOTTでの公開(デジタル・リリースとも呼ばれます)を決めました。少なくともこれからしばらくはOTTでの公開が主流になるため、これを見ていかないと映画界の流れが追えません。

そこでこの「観たい!」でも、OTTでの公開作品も紹介していきます。しかし、事前情報の発表のされ方が劇場公開作とは異なるなどいろいろ難しい点もあるため、最初は無理をせず、OTT「3強」のネットフリックス、アマゾン・プライム・ビデオ、ディズニー+ホットスターで公開される作品のみを取り上げます。また、映画ではなくウェブ・シリーズも話題作は取り上げたいと思います。

 

【Shakuntala Devi】(7月31日配信開始、アマゾン・プライム・ビデオ)

監督:アヌ・メーノーン Anu Menon
出演:ヴィディヤー・バーラン、サーニヤー・マルホートラ、ジシュー・セーングプター、アミト・サード

トレイラー

その凄まじい暗算能力から「人間コンピューター」と呼ばれたシャクンタラー・デーヴィーをヴィディヤー・バーランが演じる伝記物。監督は【London, Paris, New York】(2012)、【Waiting】(2016)のアヌー・メーノーン。映画で暗算のシーンを普通にやっても当然本物には敵わないわけで、それをどのように面白いストーリーにしているかに注目です。シャールク・カーンがナレーションという話もあります。

 

【Dil Bechara】(7月24日配信開始、ディズニー+ ホットスター)
監督:ムケーシュ・チャブラ Mukesh Chhabra
出演:スシャーント・シン・ラージプート、サンジャナー・サーンギー

トレイラー

スシャーント・シン・ラージプートの遺作になってしまいました。ハリウッド映画『きっと、星のせいじゃない』の原作であるジョン・グリーンの小説『さよならを待つふたりのために』(原題は映画、小説ともに The Fault in Our Stars)の映画化です。翻案は【Badrinath Ki Dulhania】(2017)監督のシャシャーンク・カイターンが担当しています。ガン患者同士のラブストーリー。

 

【Yaara】(7月30日配信開始、Zee5)
監督:ティグマンシュ・ドゥーリヤー Tighumansh Dhuriya
出演:ヴィドゥユト・ジャームワール、アミト・サード、ヴィジャイ・ヴァルマー、シュルティ・ハーサン、サンジャイ・ミシュラー

トレイラー

かつてのギャング仲間が20年後に再会してもうひと暴れというバディもの。ヴィドゥユト・ジャームワールに【Gully Boy】(2019)(『ガリー・ボーイ』)のヴィジャイ・ヴァルマーら、ボリウッドの注目株を集めたキャストには注目。

 

【Raat Akeli Hai】(7月31日配信開始、ネットフリックス)(邦題『孤独の夜』、日本同時配信予定)

監督:ハニー・トレーハン Honey Trehan
出演:ナワーズッディーン・シッディーキー、ラーディカー・アープテー、シュウェーター・トリパーティー、イーラー・アルン、シヴァーニー・ラグヴァンシー

トレイラー

田舎町の大邸宅に住む政治家が自宅で何者かによって射殺される事件が発生し、警察が事件の捜査に乗り込むが、被害者の家族の複雑な人間関係に捜査は難航するという話。警察官役ナワーズッディーン・シッディーキー、被害者の妾役にラーディカー・アープテー。2人の共演は【Manjhi – The Mountain Man】(2015)以来。【Ishqiya】(2010)や【Udta Punjab】(2016)監督のアビシェーク・チョーベーがプロデューサーというのも楽しみ。

 

【Lootcase】(7月31日配信開始、ディズニー+ ホットスター)
監督:ラジェーシュ・クリシュナン Rajesh Krishan
出演:クナール・ケームー、ラシカー・ドゥガル、ガジラージ・ラーオ、ランヴィール・ショーリー、ヴィジャイ・ラーズ

トレイラー

【Kalank】(2019)や【Malang】(2020)で活躍のクナール・ケームーが主演するコメディ。庶民の男が偶然拾ったスーツケースを家に持ち帰って開けてみると大金がぎっしり。政治絡みの裏金で政治家、マフィア、警察も巻き込んで大騒ぎになるドタバタになりそうです。

 

【Breathe: Into the Shadows】(7月10日配信開始、アマゾン・プライム・ビデオ)(全12回シリーズ)
出演:アビシェーク・バッチャン、ニティヤー・メーネン、アミト・サード、サイヤミ・ケール

トレイラー

アマゾン・プライム・オリジナルのサイコ・スリラーの第2シーズン。とはいえ第1シーズンはR・マーダヴァンとアミト・サードの出演なので、まったく新しい話になります。アビシェークは精神科医。何者かに子供を誘拐され、まったくの他人の殺害を強要されるという話。殺害を避けながら、警察には協力しつつも秘密は隠し、子供を探すという展開になりそうです。シリーズなので映画とは異なる可能性もありますが、トレイラーを見る限り非常に面白そうです。期待しましょう。

【Har Kisse Ke Hisse: Kaamyaab】

監督:ハルディク・メヘター Hardik Mehta
出演:サンジャイ・ミシュラー、ディーパク・ドーブリヤール、イーシャー・タルワール

2020年3月6日公開

トレイラー

ストーリー
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スディール(サンジャイ・ミシュラー)はインド映画の脇役俳優。長年脇役一筋で数年前に引退した。しかし、あるとき受けたテレビ番組の取材で自分の出演作が通算499作であることを知る。スディールは生涯出演作品数をキリのいい500作にするため、俳優復帰を決意する。しかし、引退した脇役俳優に今のボリウッドはそんなに甘くなく、すんなり役を与えてくれるプロデューサーや監督はいなかった。「たった1作」のために悪戦苦闘するスディールが知った人生の成功、真の幸せとは?
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シャールク・カーンの制作会社レッド・チリペッパーの作品です。Imdbを見ると制作が2018年となっているので、公開に手こずったようです。それに伴いタイトルも当初の【Kaamyaab】から【Har Kisse Ke Hisse: Kaamyaab】に変更されています。

主演はとぼけた役が持ち味の脇役俳優サンジャイ・ミシュラー。「斜め上」のコメディ・キャラが得意ですが、シリアスもできる名俳優は本作にぴったりです。共演はゲスト的な出演でしたが、【Prem Ratan Dhan Payo】(2015)(『プレーム兄貴、王になる』)などのディーパク・ドーブリヤール。監督のハルディク・メヘターは脚本家出身で【Lootera】(2013)、【Queen】(2013)の脚本監修や【Trapped】(2017)の脚本、ドキュメンタリー作品や短編の監督をやり、長編作品では本作フィクションでは本作がデビューになります。

派手ではないものの、笑いあり、哀愁ありの素敵な作品でした。きっちりとまとまった脚本に、哀愁漂う雰囲気を出した演出、主演の好演ががっちりと噛み合って、映画制作のお手本のようでした。

作品のオープニング・タイトルと本編の最初の部分は必見です。オープニング・タイトルはいわば主人公のフィルモグラフィーで、昔のインド映画ポスター(もちろん架空)が次々と映し出され、そのそれぞれに主人公が脇役として出演していたことがわかるようになっています。続いて本編に入ると、現代のテレビ番組で主人公の出演シーンが紹介されるのですが、あたかも本当に昔の作品から切り取ってきたかのように再現していて非常に凝っていて、ユーモラスかつハイセンスです。

そこからは主人公の「500作目」を目指す悪戦苦闘が続くのですが、かつて活躍した脇役俳優などには誰も見向きもしてくれない今の業界の世知辛さあり、実際にブランクのためか俳優としての力が落ちてしまっている老いの悲しさあり、そして素晴らしいラストありと、いろいろな感情がいっぱいです。主人公もサンジャイ・ミシュラーが演じているだけあって基本はひょうひょうとしていますが、それでもときには激情がほとばしるところもあり、観ているほうも心を揺さぶられます。

主人公の代表作での有名セリフは「Just enjoying life, aur option kya hai(人生を楽しむ。他になにがある?)」(もっとも作中[架空作中]ではこれを言った直後に撃たれて死ぬ役なのですが)です。果たして主人公は脇役一筋の人生を楽しめたのか?そして500作目の出演はなるのか?魅力的な脚本と優れた演技で魅せる優れた作品です。

 

音楽
【Mukkabaaz】(2017)、【Judgementall Hai Kya】(2019)など、最近の作品で作曲を手掛けるラチター・アローラーの作曲です。スネーハー・カンワルカル、ジャスリーン・ローヤルなどボリウッドでは女性作曲家の活躍が増えてきました。

「Tim Tim Tim」

80年代を代表する作曲家バッピー・ラーヒリーの曲が入っただけで、架空の過去作品のリアリティーが増します。

 

「Paaon Bhaari」

 

「Sikandar」

サンジャイ・ミシュラー  スディール役

一度は引退したベテラン脇役俳優の役ですが、振り返ってみるとこの人以外にはいないのではないかと思うほどのハマり役でした。一部のシーンを除くと主人公は表向きはコミカルで哀しみをストレートに表現しません。しかし、それでいてどこからか哀しみが伝わってくる素晴らしい演技でした。ただし、作中の主人公は脇役一筋であるのに対し、サンジャイ・ミシュラーはフィルムフェア最優秀主演男優賞(批評家)受賞の【Ankhon Dekhi】(2014)など主演作や、【Masaan】(2015)のような助演作もあります。


イーシャー・タルワール
  イーシャー役

南インド映画を経て【Tubelight】(2017)でヒンディー映画デビュー【Article 15】(2019)ではアーユシュマーン・クラーナーの妻役。今回は主人公の住むビルに引っ越してきた女優死亡の女性役。ただ、これまでどの役もどこか存在感に欠ける印象です。

 


ディーパク・ドーブリヤール
  グラーティー役

【Prem Ratan Dhan Payo】(2015)、【Hindi Medium】(2017)など、「主人公の友人」役で知られていますが、今回はちょっとズルいところもある映画監督の役。主人公の500作目の出演を快く引き受けてくれますが・・。出演はさほど多くなく、ゲスト出演のような感じでした。

 

本作【Har Kisse Ke Hisse Kaamyaab】は主人公がそうであるようにボリウッドの脇役賛歌でもあります。そのため、実在の往年の脇役俳優が多数出演しています。その中でも、いまだ現役で主人公の商売仇とも言えるベテラン俳優役はアヴァタール・ギル。こちらは実際に現役で【Airlift】(2016)や【Wazir】(2016)などの有名作にも出演しています。他にはビジュー・コーテー。有名女優シュバー・コーテーの弟で、自身も長く脇役俳優として活躍し、【Sholay】(1975)ではガッバル・シンの手下カーリア役。

 

本作の粗筋を聞いたときに思い出したのがハリウッド映画の『Mr.3000』(2004年)。あまり知られてはいないと思いますが。大リーグで3000本ヒットの偉業を達成した引退した主人公が、10年後に記録の誤りで実際には3千本に5本足りていないことを知り、無謀にも現役復帰するものの・・・という話。

本作の主人公は通作500作目の出演を目指しますが、現実のインド映画俳優はどれくらいの作品に出ているのか調べてみました。本作と同じくImdbを利用しましたが、全員を調べてはいないので網羅的なものではありません。(本数は2020年4月現在)

ボリウッドに限定しなければ、出演数でギネス世界記録保持者のテルグ映画俳優ブラフマーナンダムの1164作!ヒンディー映画だと、思いついた人をざっと調べてみると、
シャクティ・カプール 670作
アヌパム・ケール 428作
カーダル・カーン 418作
ミトゥン・チャクラボルティ 373作
ジョニー・リーヴァル 313作
アムリーシュ・プリー 303作

こうすると本作主人公の500作というのはなかなかの数字であることがわかります。

【Har Kisse Ke Hisse: Kaamyaab】
サンジャイ・ミシュラーの七変化を見たい人、「500作目」をどのようなオチにするか気になる人、ちょっと物悲しくもほのぼのでもある雰囲気を味わいたい人、おすすめです。

【Thappad】

監督:アヌバヴ・シンハー Anubhav Sinha

出演:タープスィー・パンヌー、パーヴェール・グラーティー、ラトナー・パータク、ディヤー・ミルザー

2020年2月28日公開

トレイラー

 

ストーリー
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アムリター(タープスィー・パンヌー)とヴィクラム(パーヴェール・グラーティー)は結婚して数年の若い夫婦。子供はいないが幸せな結婚生活を送っていた。あるときヴィクラムの昇進とロンドンへの赴任が決まり、アムリターとヴィクラムは会社の同僚や知り合いを呼んで自宅でパーティーを開く。パーティーの途中でかかってきた電話でヴィクラムはロンドン赴任の取りやめを告げられる。社内政治の犠牲になったのだった。腹の虫がおさまらないヴィクラムはその場にいた上司と口論を始める。夫の逆上ぶりをみかねたアムリターは止めに入る。だが、ヴィクラムからはパーティーの衆人環視の中、アムリターに一発の平手打ちが飛ぶ。

夫からの仕打ちにショックを受けたアムリター。翌朝、夫は何事もなかったかのように会社に出かけていったが、アムリターはどうしてもこれまでと同じ平穏な日常を続けることができない。彼女にとっては世界が変わってしまったかのようだった。アムリターはいったん実家に帰り、ヴィクラムとの離婚を決意する。
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夫から妻への一度の平手打ちが、それまで良好だった夫婦関係を壊していく様を描き、ドメスティック・バイオレンス(DV)の意味を問い直す社会派作品です。タイトルの意味は「平手打ち」、「ビンタ」、「ひっぱたくこと」。発音は「タッパル」が近いでしょうか。ヒンディー映画では頻出する単語であるため、聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。

アヌバヴ・シンハー監督とタープスィー・パンヌー主演という組み合わせ、ヒンドゥー至上主義の台頭で次第に疎外されていくインド・ムスリムを描いた裁判モノ【Mulk】(2018)と同じです。

インド映画やインドのニュースを見ていればインドにおけるDVが深刻な問題であることは想像に難くありませんが、さすがに被害者が医者にかからなければならないような暴力は悪いことであるという一般的な認識はあります。しかし「どこからがDVなのか」などと言い出す人が出てくると話がややこしくなります。具体的な数字は覚えていませんが、「妻には平手打ちならば許される」とか「必要」とか考える男性の割合が思っていたよりも大きくて驚いたことがあります。

【Thappad】はごく普通の夫婦の間の一回の平手打ちとその顛末を描くことを通じて、「そもそも『ささいなDV』なんてあるのか?」DVに線引きする必要はあるのかという問いを投げかけます。その問題意識の鋭さもさることながら、問題を映画として表現する監督の構成力と主演のタープスィー・パンヌーの演技が印象的です。

【Thappad】の構成の特徴は作品のクライマックスが映画の終盤ではなくて中間、しかも前寄りの中間にあることです。クライマックスとはもちろん夫から主人公への平手打ちです。そして作品はクライマックスの前と後とに二分されますが、監督はクライマックスの前と後で変わったものと変わらないものの両方を描くことでクライマックスを際立たせています。

「変わらないもの」は主人公や夫の日常生活。作品の序盤で、主人公が毎朝やっている、配達される新聞と牛乳を受け取り、チャイを淹れ、植木に水をやり、夫を起こし、朝食を食べさせ、弁当を持たせて仕事に送り出すといった朝の行動が執拗なまでに丁寧に描かれます。最初はばかに丁寧な描写だと思いましたが、平手打ちのあった翌朝にそれとまったく同じ情景が同じくらい丁寧に描かれるのを見て驚きました。主人公の朝のルーティーンの描写は主人公の周りの「(平手打ちによっても)変わらない生活」を描くための仕掛けだったのです。

一方で「変わってしまったもの」はひたすらタープスィーの演技だけで描かれます。彼女の中で何かが壊れてしまったのはわかるものの、タープスィーがそれをセリフで説明することはありません。おそらく自分でもうまく説明できないという設定なのでしょう。

【Thappad】は、問題の出来事の前と後、そして前と後で変わったものと変わらないものというという組み合わせを配置し、夫による妻への平手打ちという作品の中心テーマが見事に浮かび上がるような構成になっています。作品の社会的メッセージの重要性もさることながら、それをきっちりと観客に伝えることができるしっかりした作りの秀作です。

 

音楽
「Dancing In The Sun」

作品で重要な役割を果たす「朝のルーティーン」

 

「Hayo Rabba」

 

「Ek Tukda Dhoop」

タープスィー・パンヌー  アムリター役

性暴力がテーマの【Pink】(2016)、宗教問題の【Mulk】(2018)、そしてDVの本作【Thappad】。社会派作品といえばタープスィーというくらいにはなっています。そして本作は彼女の演技の重要度がとりわけ高かったことから、そのなかでもベストと言える作品です。

 

パーヴェール・グラーティー  ヴィクラム役

【Ittefaq】(2017)、【Kalank】(2019)(特別出演、ジャーナリスト役)などに出演がありますが、大きな役は本作が初めて。本当に自分の何が悪かったのかがわからない夫の役を堅実に演じていました。俳優としては地味な印象でした。

 

 

ディヤー・ミルザー  シヴァーニー役

主人公夫婦の隣家に住む女性。母子家庭で、作品でははっきりとは語られませんがおそらくDVの被害者という設定です。出来事の後まったく意見が一致しない夫婦の間で観客と同じく第三者の視点を与える役でした。

 

 

クムド・ミシュラー、ラトナー・パータク・シャー、タンヴィー・アーズミー、夫側の弁護士にラーム・カプール。

 

本作を観たあとに、本作の数カ月前に公開されながらも見逃していたある作品を観たのですが、そこでも本質的には善人な主人公が妻に平手打ちをしていて幻滅しました。話の流れからは必ずしも必要とは思えないし、それがもたらす影響も【Thappad】を観たあとでは平手打ちを軽々しく扱っているとしか思えませんでした。

【Thappad】
「ささいなDV」の問題を考えてみたい人、タープスィーの心情変化の演技を見たい人、Thappadの語でヒンディー語の発音練習をしたい人、おすすめです。