監督:ヴィドゥ・ヴィノード・チョープラー Vidhu Vinod Chopra
出演:アーディル・カーン(新人)、サーディヤー(新人)
2020年2月7日公開
トレイラー
ストーリー
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ジャンムーの難民キャンプに暮らすシヴ(アーディル・カーン)とシャンティ(サーディヤー)の初老夫婦。2人は1980年代末に故郷のカシミールを追われたヒンドゥー・パンディットだ。ある日、2人の元にアメリカのホワイトハウスからの手紙が舞い込む。シヴが故郷を追われたヒンドゥー・パンディトの苦境を歴代米大統領に訴え続け、約30年後の今になってようやく返事が来たのだった。大統領は次のインド訪問時に会いたいと告げ、アーグラの高級ホテルに2人を招待した。
ホテルに着いた2人は高級すぎる部屋に戸惑いながらも、これまでの日々を回想する。最初はインド映画ロケでの出会い、知人の結婚式など楽しい思い出だったが、やがて過激派の横行、そして難民となっての逃避行と苦難の日々の記憶がよみがえる。
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インドからの独立を要求して猛威を振るったカシミール地方のイスラム教過激派のため、故郷を追われることになったカシミールのヒンドゥー教徒夫婦の話。【3 Idiots】(2009)(『きっと、うまくいく』)などのプロデューサーとして知られるヴィドゥ・ヴィノード・チョープラーがインド映画では【Eklavya: The Royal Guard】(2007)以来の監督。主演の2人は新人です。
ヒンディー映画とカシミール地方は深い関係があり、さまざまな映画でカシミールが描かれてきました。シャルミラー・タゴールのデビュー作【Kashimir Ki Kali】(1964)やシャシ・カプールの代表作【Jab Jab Phool Khile】(1965)など風光明媚なカシミールはまさに理想のロケ地でした。それが一転、【Mission Kashmir】(2000)、【Yahaan】(2005)、【Tahaan】(2008)、【Shaurya】(2008)、【Haider】(2014)など、活動を活発化させたイスラム教過激派とそれを抑えるために派遣された政府治安部隊がにらみ合う重苦しい映画が作られていきます。しかし、そうした中でもカシミールのヒンドゥー教徒「ヒンドゥー・パンディット」を描いたものはありませんでした。
作品は1980年代初頭のまだ平和だったカシミールから始まります。主人公の2人が出会うのはインド映画のロケにエクストラとして出たのがきっかけというのは象徴的です。それが80年代終わりごろになるとイスラム教過激派が活発化し、やがてヒンドゥー教徒はカシミールにいられなくなります。本作のキャッチフレーズでもある「自分の国での難民」の生活の始まりです。
しかし、【Shikara】でのカシミールのヒンドゥーとムスリムの対立の描かれ方はこれまでのカシミールを舞台にした作品に比べるとずっと穏やかです。ムスリム住人の中にも主人公たちを助ける人々もおり、また過激派組織もある理由から主人公夫婦には手を出しません。また、難民となったあと主人公たちを助けようと近寄るヒンドゥー教徒たちも必ずしもカシミールを尊重していないといった風に描かれます。そして何よりも作品全体を通じて主人公たちはイスラム教徒を非難することなく、あくまで自分たちの個人史を物語るという姿勢が貫かれていました。
後述するようにこのような「非常に政治的な問題を政治的に語らない」という叙述方法が本作が批判される原因となりました。しかし、【Shikara】は政治的主張を声高に語らずともカシミールのヒンドゥー教徒が受けた苦難を確実に伝えています。逆に政治的なメッセージを込めても伝わらない作品もあることを考えれば、上記の批判がいかに的外れかわかると思います。
新人の2人は新人らしからぬ落ち着いたいい演技でした。もっとも、監督が与えた役割を忠実に果たしたという意味でのいい演技で、多少優等生過ぎる感じでもありました。本作だけでは2人が今後どうなるかを言うことはできません。
これまであまり取り上げられてこなかった問題、そしてインド以外ではあまり知られていない問題を静かな語り口で描く作品です。残念なことに外野でいろいろ起きてしまいましたが、自分の目で確かめてみるだけの価値はある作品です。
音楽
「Shukrana Gul Khile」
1980年代カシミールでの結婚式を再現。
「Ghar Bhara Sa Lage」
「Mar Jaayein Hum」
アーディル・カーン シヴ・クマール・ダル役
ラジオ・ジョッキー出身だそうです。リアルの写真を見るとふつうのハンサムなお兄ちゃんといった感じなのが、本作では文弱、学者タイプになれていたので、演技の素質はあると思います。
サーディヤー シャンティ役
こちらはあまり前歴がわかりませんでしたが、おそらく演劇かなにかで演技経験はあるのでしょう。少し地味な印象ですが、しっかりした演技でした。
シャルマン・ジョーシーがシャンティの兄の役、プリヤーンシュ・チャタルジーがシヴの恩師役でどちらも特別出演くらいの登場。
【Shikara】の公開前にカシミールのヒンドゥー教徒の苦難がテーマであることが明らかになったときは、イスラム教徒からの反発が予想されました。カシミールの過激派や分離運動を鎮圧するために派遣されたインド政府軍の一般市民(イスラム教徒)への暴力行為を無視して、ヒンドゥー教徒が被害者であるように描かれるのはけしからんという意味です。そして、実際に公開の差し止めを求める訴訟がありました。
ところが公開されてみると批判は主にヒンドゥー側からでした。公開直後、【Shikara】を観たという女性が激しく怒るビデオがネットに流れ、その後ツイッターなどで作品ボイコットの呼びかけがなされました。反対派の主張は主に「カシミールの状況の事実を歪めている」、「カシミールのヒンドゥー教徒の苦難を正しく描いていない」というものでした。しかし、【Shikara】では主人公夫婦は故郷のカシミールを追われて現在に至るまでジャンムーにある難民キャンプ(といってももう一つの町のようになっています)で暮らしており、故郷に戻ることはできません。つまり、ふつうに観たら十分に苦難を描いているように見えます。
それではなぜ【Shikara】がこのように批判されたのかというと、カシミールのヒンドゥー教徒の描き方がヒンドゥー至上主義者およびそれに基づく政治勢力、政治思想が提示する「事実」に従っていないためです。こうした人々は「カシミールはインド(この場合はヒンドゥー教徒と読み替えてください)のもの」という立場から、「カシミールのヒンドゥー教徒はカシミールを不当に支配するイスラム教徒によって暴力的に追い出された」という主張をしています。彼らからすると、【Shikara】にはそうしたイスラム教徒を非難する主張がみられず、重大な政治的問題を個人の物語に矮小化しており、「『事実』を歪曲」していることになるわけです。
実際に作品を観てみれば、こうした批判がいかに偏ったものであるのかは一目瞭然だと思います。
【Shikara】
あまり知られていないカシミール現代史の一側面を見たい人、不当な批判にさらされた作品を観ることで擁護したい人、おすすめです。